商店街復活論

暇人\(^o^)/速報 : 【徹底議論】ジャスコを倒し田舎の商店街を復活させるには - ライブドアブログ


俺の考えた商店街の復興策のつもりがグチになりました - G.A.W.


この「商店街論争」ってやつ、ややこしくて、
いろんな議論がごっちゃになると思うし、
実はみんな「商店街」の定義が曖昧だと思うんですよね。
都心部ニュータウン駅前によくあるけど、
チェーン店が並んでてても形式として商店街になってるところはある。
それを見て「これは商店街ちゃう」って人はたくさんいると思う。
つまりそこにあるのは消費者としての価値観のぶつかりだ。
あとその土地にどれだけ長期の視点の愛着を持つか。


それから全く別種のこととして、
そもそも商店街というのは明確にどこからどこまでというのが
それぞれの時点で決まってるものなんだけど、
そこが商店街かどうかなんてみんな普段は意識していないと思うんだ。


だからまあ、一般論として言われてるのは、
高齢者が店主を続けて
埃被った感じで運営していて
商品力がなくて
顧客対応が一部知人のみに向いてて、
店内の対応がジメジメ暑苦しくて、
スーパーとかで代替可能な業種、
という商店がどうやって生き残るかということ。
そんなの生き残らないね、って結論ですよそれは。


そういったことグチャグチャにしながら
商店街について思考ゲームとして考えるのが好きな人、多いよなー、
と思いながら読んでた。
それでまあ、僕なんかまさに現場で商店街活性に触れてるわけで。
この議論から逃げられないのだけれど。


その結論は、商店街の既存店舗が店舗明け渡して大家になって、
新しく若手の起業家がそこでお店をやるのがいいんだろう、と思ってる。*1


要するに両記事を見ても共通してるのは、

  • 商店街は今でも好立地
  • 商店街の既存店舗は今もそれなりに地元顧客ネットワークを押さえてる

ってことであって、それをどう活かすか、ということ。


いわゆる店舗で買い物をするであろう客には

  • 日用品が欲しい高齢者
  • 食材欲しい主婦層
  • 昼飯とか食べに来る会社員層(近隣に勤務)
  • 観光客
  • 夕方あたりから遊びたい学生層
  • 夜になって帰ってくる会社員層

なんかこんな感じで客層があって、
現状どうなってて(基本どれも来ないのが商店街一般だけど)
今後どうしたいか。
それから、それぞれのエリアがどのぐらい車社会か
ってことがそこに掛け合わさって来る感じがする。


その分析によって、それぞれの商店街ごとに戦略は変わってくると思う。
あと関係者のロマンによって、どういう戦略を取れるかも変わってくる。
だから何だって言われたら何だだけど、まあなんかそういうことを思った。

*1:実はダメ商店街扱いされているところでも、この点は当たらずとも遠からずな状態なことが多い。何が違うって、新しく出店するのはチェーン店だらけなんだ。それをどう止めるか、変えるかが重要だと思うし、そのノウハウをいま自分たちは溜めてると思うんだ。

ご当地の分厚い底

今号の『ユリイカ』さんは
B級グルメが特集だ。


実は次回予告でそれを知った自分は
ヘドが出そうな特集だと思っ(てい)た。


なぜかっていうと
最近、地方自治体職員の方の名刺に
ゆるキャラが印刷されているのをみたり、
広報室や東京事務所の類に
ご出向されている方が
ご当地グルメ的B級を似合わぬ体(てい)で
必死にPRしているのを見ていると気持ちが
ずいぶんと沈むことがあって、


おそらく、今回の『ユリイカ』の
B級グルメ特集も
そういった一連の寒々しい
B級グルメ大会とかの特集なんじゃ
ないかと思った(思い込んでいた)ためだ。


きっと、またご当地グルメの紹介や
自治体や観光協会並びに関係団体、
NPOの人たちの
PR誌(餌食)みたいなんだろうなぁと。


読後、僕は驚いた。



その特集なるは
僕の想像と大きくことなった。


湯島のうますぎる
とんかつ屋「ぽん多本家」の食後感と
同一の相当なる美味であったのだ。


いい特集だった。


こういうのをお役所は読んだほうがいい
と思う。業界紙とか成功事例集とか捨てて。

もしくは無理してあんなまずしい
恥ずかしい「ご当地」に自分たちを
おとしておとしてPRしていく
手法なんて採ることをやめたらいい。


予算はあなたのお金じゃないしね。


ところで


僕は福田和也をなんとも思わないが
彼が「B級グルメの大会ってなんなんだろうね。
競争とかしてるし。B級っていうんなら
競争からおりなきゃいけないのにね。」
と対談最後にいったのは正しいと思った。

きわめて正しい。

日本の多くの地方自治体はじめとする
コンサルタントたちは
こうったセンスを欠いている
と僕は思う。


「ご当地」のDIY
自治自立・自律)ぶりや
「ご当地」の持つダイナマイト級の
感性や知を知らない。

ご近所の底力とかいうけど、底力をなめてるね。

底力ってのは、
あんなちょっとボランティアで
後世にいいこととか、
そういう力をいうんじゃない。


それらは、単に数十年しか
生きていない地域や歴史性の
表面にちょっと腰掛たくらいの僕たちが
語ることが出来ないような
とてつもないものなのだ。


残念だけどそれを知らないってことは
それを想像すらしていないってことは

彼らは「ご当地」をちっとも信頼していない


ってことになる。



そんな地域活性も
まちづくりもうまくいくわきゃない。


僕はそう思う。


要は、どこで競争しますかってこと。
その競争って一体なんすかってこと。


「希望が湧く未来」っていう
その「希望」はどの程度の
一体、何の「希望」なのか。


これを考え忘れると、
クソのような地域再生論が
溢れ(てく)る。

ほくろ

お祝いのメッセージを
くださった皆さんどうもありがとうございました。


僕はおかげさまで、昨日、34になりました。


34ってのはどんな風に
やってきたかっていうと、
ついにでも、ようやくでも、
いきなりでもない。


素直に34が来たってかんじだ。


あんまり僕はむかしと変わっていない
と思っている。


相変わらず、肩がこるとか
いろんなことがあるけれど、
大きなことはあんまり変わらないんだ。


ところで、そんな僕は今日、ほくろが
取れるということを知った。


34歳で初発見はこれであった。


取れないはずのほくろが
取れてしまうことを知った。


そんなアホな。


別にどこかの「しみ・ほくろとり」
とかいう怖いチラシにのって、
うんちゃら整形外科にいったわけじゃない。


いきなり、ヤツはとれたのだ。


いや、正確にいえば、ちょっと引っ掻いた。
少し血が出た。
かさぶたも出来た。


で、また引っ掻いた。
少し血が出た。
かさぶたも出来た。


これを繰り返したら、ほくろが取れたのだ。


34の僕は今日、そんなどうでもいい
新しいことを知った。


日常は旧い景色や體験や読書の
積み重ねだという。


でも違った。


そうじゃない。


ほくろが取れたのだ。


體験や読書の積み重ね、
確かにこれらはかつては
修養と呼べるもの
だったかもしれない。


修養、それは僕をつくったろう。


でも僕は今日、身体に
ぴったりだったほくろ
ー修養がとれたのを確かに見た。


驚いた。
少し悲しいきもちも、
少し嬉しい気持ちもした。


とれたほくろは
どこへ行ったのか考えてみたら、
とても眠くなって、34歳が
1日過ぎたのをみました。

ご無沙汰してます

お久しぶりです、寺井です。

今日も晴れていて、よいです。もう秋だ。

ブログをご無沙汰してしまっている間、
個人的なことでいえば、坊主にしたり、
ダイエットに多少、成功したりしていました。

仕事的なことでいえば、いろいろあるなぁ。

なんやろ・・・ま、ボチボチ
ちょっとずつ綴れたらと思っています。

では、カンタンな再開宣言まで。

某友人のツイートを眺めていて。
つまるところ議論が始まっていて、友人は知らない人と会話をしてて、
それを眺めたんだけど、それだけで疲れた。


なんでいちいち「試す」みたいな質問をするかなあとか、
話をすり替えやすい半身の会話を仕掛けるかなあとか、
特殊なキーワードでバカにし気味な定義をかけてみたりするし、
微妙な旗色になったら茶化す。
それでいてその「お試し」の答案合わせも陳腐なんだよ、これが。
勿体つけなくても知ってるし、なんなの、みたいな。
結局ポジショントークじゃねーか、くだんねー、って思って。


僕の友人はその面倒な議論をちゃんと受けていて、
それは相手が業界関係者だったから彼にも意義があったと思うんだけど、
いやー偉いな、、って思った。
コンサルをやろうとしているからかな、それは。
まちづくり関係でそんな論戦挑まれたら、僕は嫌だなあ。
そしたら僕はコンサルとか向いてないのかなあ、そうかもなあ。

・やっと決まった義援金配分率−速やかな配分は望めるのか?

・〈東日本大震災〉集められた義援金の使途について調べてみた

・阪神・淡路大震災〜義援金はどうなった?


義捐金の件、これから市町村に差配が移るわけで、
被災者の手元にお金が回るにはまだまだ時間がかかる。
おまけに行政が手続きをやっていろいろと条件付けしちゃうから、
被災者からするとテクニカルなことをやらないとお金をもらえない。
そしてなにせ公平公正に配分をしようとするから、
1人あたりの金額は細切れに分散されて大した金額にならない。


要するにこれは、結果的には税金と変わらない類の予算の使われ方。
行政の手続き主義は問題だとか、みんな言うくせに、
ただ楽だからと赤十字義捐金を振り込んでいる時点で、
自己矛盾してると僕は思う。


そもそも震災前から、日本社会のさまざま低迷は、
政府の予算の使い方が硬直化、非効率、スピード不足というところに、
大きな原因がある。
もはや政府や各市町村、もちろん官庁も、
どこに予算を投下したらいいかなんて分かってないし、
分からないなりにトライアルをやるってわけでもない。


それでこのニュース。

・東日本大震災:復興増税、賛成58%−−毎日新聞世論調査


もう僕はクラクラしております。アホか。
もちろん責任は1人1人にある。