ホリエモンの威信失墜〜、トラバのお返事

blog初心者的な意見なのだけれど、反応がいくらかでもあると、エントリ書いた甲斐があるなあと嬉しい。で、足し熊の穴 By Pip:what the world is waiting for - livedoor Blog(ブログ)にお返事してみる。

しかし、「絶望の世代」というのはいただけない。結びの一言は、「希望」の現れではないのでしょうか?

この部分。はい、その通りですね。って終わっちゃうのもなんだか。。とりあえず「希望の世代」「絶望の世代」は勝手な造語だけど、どちらもポジティブあるいはネガティブな意味を持たせたつもりはなかったのだ。

ただ、食べたいものも満足に食べられず、買いたいものも買えない、今から考えれば絶望的な環境で生まれ育った団塊世代が「希望の世代」になり、逆に働かずとも餓えない飽食の時代に生まれた僕ら若い連中が「絶望の世代」になるというのは皮肉だなあと。まあ、往々にして真実というのは、一見して矛盾してるように見えるもんなのかなあと思う。

ラクリとしては、劣悪な環境であれ、その先にある目標が明確に与えられていれば人は悩まず苦しまず、希望を当然に感じて生きることができる。そして、その逆もまた真だということなんだろう。パラサイトを覚悟すれば、働かなくても当面は死なないほどに僕らは自由だけれど、感覚としては絶望的で、希望は自ら選んで掴みとるもの、というのが大方の感覚ではないかなあと想像している。

だから、、仰るとおり、結びの一言は希望だと思って書いた。ホリエモンは自分の腕ひとつで希望を掘り起こした、少なくともそう見えた。その希望がわずかな間で失われる呆気なさといったらなかったけど。jkondoの日記 - 夢の力という指摘もあるけれど、「次の誰か」とか悠長なものではなくて、我も我もと次にトライしようぜ、と思う。まあ、僕は僕なりに頑張ろーかな。

追記:はてなブクマでこんなの見つけたけど、まあ正直な人だという点は間違いなかったんだろう。敗軍の将、兵を語る:「勝ってたら首相も見えた」、堀江貴文氏 - nikkeibp.jp - 企業・経営

ホリエモンの〜、最後に。

ホリエモンに関する報道だけれど、テレビや新聞などマスメディアによる叩き方がやたらと酷いと聞く。実は僕はしばらく前にテレビを家から捨ててしまって困っていないし、しかも日経流通新聞以外とっていないので、実際どうなってるのかよく知らない。おそらく想像通りに酷いんだろうなあと思うし、もはや確かめたいとも思わない。ただ、ひしひしと不穏なものを感じる。それは、グレーゾーンが広すぎていつなにが起こるか分からないこの世の中という奴にだ。

finalventの日記 - そういえば、堀江貴文……にもあるけれど、ホリエモンが大悪だという非難の嵐が吹き荒れ、極悪人というイメージで面白おかしく笑われているのならちょっとさあ…と思う。もちろん法に触れたのならば許されることではないし、きちんと裁きを下され、贖罪すべきだと思う。そもそも、ホリエモンを擁護する気もない。しかし一方で、今回のような件ならそこらへんの企業にゴロゴロと転がっているのでないかとも思う。fromdusktildawnの遊び場 - ホリエモン以上に詐欺的なベンチャーの内情とかを真に受けていいのかはわからないけど。

そして、これとは話が違うと言われるかもしれないが、例えば世に、車に乗っていて速度違反で捕まる人は多々いる。もちろんそれは許されることではないし、情けない話には違いない。が、誰かを怪我させたのでもない限り、それを大反省して悔いて泣く人が果たしているだろうか。おそらく運が悪かったという感想が一番多いだろう。その瞬間、道路交通法は合法/違法を判断する基準ではあっても、善/悪を判断する基準ではなくなってしまっている。そして、違法ということが意味しているのは、単にリスクの量なのだ。

だから、どこそこを歩けば、カウントできないほどの速度違反を目撃するのだと思う。特に取り締まりがあまり行なわれない、つまりリスクが少ない裏道などでは。しかし、それは本当に悪だろうか。。こういうことを放置しておくことは、危険だなあと思う。なぜなら、速度違反を恣意的に取り出して、××という個人をいつだって狙い撃ちで捕まえることができるからだ。

道路では誰もが早く目的地に着きたいと思っているだろう。そして、少なくとも心のうちでは、今の法定速度は遅すぎる、もうちょっと早く走ってもいいはずだと思っているのではないだろうか。それであれば、本当に許されるべきでない速度に法定速度の基準をあわせてほしいなあと思う。

合法=善、違法=悪、に近づける努力をもっとすべきだ。悪法も法、といつまでも頑張れる訳ではないし、なによりも恣意的にその権力が行使される危険を感じずにはいられない。

そして、速度違反から今回のホリエモンやら極端にはドラッグの問題まで、どこかそういう匂いを感じる。。といったら僕は心配性に過ぎるのだろうか。なんにせよ、いっかい本気で、タブーを取り払って善悪の境について国民的な議論をすべきだと思う。

さて、似たようなことがふぉーりん・あとにーの憂鬱: 「正義」のコストとか、法と常識の狭間で考えよう: 東京地検特捜部による「劇場型」見せしめ逮捕は許されるか?にも書いてあるなあという気がする。ま、僕なんかよりキチンとしたエントリだけど。こういうのを書けるってのはさすがだなあ。