就職サイトがどうのこうの

もじれの日々
http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060415
を中心に盛り上がってるみたい。いろいろとコメントも出ていて今更ですが。
「就職サイト」が大学生を選別している?んなバカな。
http://diary.yuco.net/20060415.html#p01
とか面白いかな。
本田さんの真意はまだわからないけど、それなりに有意義なエントリなんじゃないかと思う。就職サイトが悪いわけではないものの、就職サイトに登録したから十分に情報収集できてるなんて思う就活生っていかにも多そうだ。そういう思い込み、危機感の欠如にたいする警鐘は必要かも。
ネットは平等なものだという感覚は一般的だけど、その向こうに人がいて判断してるサービスなんて格差があるに決まってる。消費者金融無人サービスと一緒なんだから。当然だけど学歴があるほうが就職は有利でしょ、それなりに合理的な人物判断の基準だもん。それでいいし、そういうことを前提にすべき。
一方で、学歴はかなり無意味だったりするし、ネットもかなり平等ではある。学歴なんてなくても、賢かったり魅力的だったりリーダシップがある人はいくらもいるし、会えば大体わかる(わからない人は放置するしかないなあ)。ネットで自分から能動的に情報収集するとき、学歴の有無と見つかる情報には差がない。
で、結局、学歴ってどうなのよ?という話に行き着くのかなあと思う。さっきも言ったけどそれなりの価値基準だ、、けどいくつか問題がある。1つは受験で求められる能力が今も昔もさほど変わってない一方で、社会で求められる能力は徐々に、しかし大きく変わってきていること。2つは、学歴を意識するあまり、素晴らしい才能をもった人々が最初から諦めモードで埋もれていくこと。例えばそこらの東大生より賢い優良不良少年は無数にいて、埋もれていく。
そうなると、基準として妥当性がなくなっていって、学歴で判断されるなんて理不尽でたまらないっていう不満が溜まる一方で、学歴が人の可能性を殺すってことが起きる。もうそういうことが起きてて、もう1つか2つぐらいは基準をつくっていかないと成り立たないかも。
最終的にmixiの友人評価じゃないけど、そういうまた別の評価が生まれるのかなあ、blogがその本命になるのかなあ。というわけで今後はちゃんと書きますよ、ってオチ。