環境問題

身内からコメントいただいているのでこの場でレスを。といってもブラウザ上で一気に書いちゃうような、粗い意見しか書く余裕がないのだけど。

なにかというと、表題のとおり環境問題というやつだ。僕としては、環境問題の主人公は「地球」なのだと思っている。地球の生態系というのは食物連鎖をふくめて、本来は一定の循環があって安定している。ライオンですらまわり回って、ミミズの餌になっているわけだ。そういう循環が「環境」の意味で、それがキチンと成立しなくなるのが「環境問題」だと思う。

そういう地球様から見たときに、その循環の仕組をぶっ壊してばかりいるのが人間という生き物で、はっきりいうと人間というのはダースベーダー的存在。ビニールみたいな分解されない物質は垂れ流すわ、本来滅びるべきでない森林まで焼畑で消滅させるし、オゾン層は破壊してくれるし、といらんことばかりする悪の権化だ。

だから、人間が居なくなれば環境問題もまた無くなるわけで、環境問題の解決策としては人間が居なくなるのが一番早い。これが宇宙がどうこうっていう話につながる。次にマシな手としては、人間が引き起こしてる問題にたいして同じく人間が自浄作用を働かせる、ということがある。現実問題としては後者でどうにか解決の糸口を探りましょうというわけだ。

だからといって、環境を「人間が生存していける状況」と捉えるのは個人的にはどうもなあ……という感じ。人間中心に考える限りは環境なんて語れない、とか思うのだ。例えばダイオキシンについて、このぐらいなら今のところ問題はおきませんよ、というのは違う気がする。ダイオキシンが人口的な毒物で循環を妨げるとすれば、やはりゼロにすべく努力すべきなんじゃないか。

もちろん排出権みたいな仕組みづくりは重要だけれど、その前提に環境=「人間が生存していける状況」ってのがあると、トータルで考えたらCO2排出は制限枠内におさまるもん、うちは金払って排出権を買ってるんだからCO2出してていいんだよ、というよく分からない話になる。それって典型的なモラルハザードでしょ?

はっきりいえばあと100年くらいは、なにをやっててもまあ、致命的な問題はおきないだろう。少なくとも人類は環境問題のせいで死滅したりしない気がする。けっきょく、そういう危機感のなさが環境問題を致死量まで太らせる。致命的な何事かが顕在化するのが数百年後で、僕らはそのころには全員死んでいるから困らないとしても、その責任を現時点で負っていかなきゃあかんのではないかと思う。

よって環境問題への取り組みは、まず地球という星に対して「いつも迷惑かけてマジでゴメンなさい」「もうちょっと衿を正して生活していきます」と1人1人が大真面目に「思う」ところから始まるのではないか、と僕は考える。そういう活動は不思議に聞かないのだが、大真面目に地球様のことを考える、自分たちって地球に住まわせてもらってるんだなあと振り返る、そういう瞬間をもたない環境運動というのは無意味だよきっと。

その上でやれることは、自分の身の回りの細かいことを少しずつ変えていくことなのだ。ゴミをポイ捨てしないとか、タバコを排水溝にポイッとやらないとか。もっとデカイ問題があるというのは事実だけど、そういう問題にはそれなりに本腰をいれないと対処できない。その覚悟が持てない人々は、既に本腰をいれているNPO団体とかに寄付しなさいよ、というのが僕の結論だ。99%、みんなその程度の覚悟でしょ?

そして身の回りの……といっても、実際にカラダを動かさないと身に付かない。聞こえのいいフレーズではなくて、ゴミを拾うのがこんなに面倒だとは……と思う瞬間を経験して意識が変わらないと行動も変わらないから。意識が変わると、街で見るポイ捨てがダサく見えて猛烈に不快を覚えるようになり、自身もポイ捨てしなくなる。自己満だけど、これは清々しいし、それが世の中的に良いことなら、いいじゃないかと思う。経験したけりゃこちらにどうぞ、おこしやす。
http://komposition.org/prostreetball.php?catid=55&blogid=6

ちなみに、ここまで書いててボーっと考えたことがいくつかある。1つは僕の尊敬してやまない(尊敬というか共感というか驚愕というか)建築家の荒川修作さんが講演で語っていた内容で、自然は環境は人間の敵だし今後も乗り越えなきゃならん、というもの。それはそれで筋が通っていて良いと思う。これはまた新しい発想、人間は今までとまったく別のかたちで循環する人工環境を創造していくのだ、ということで、めっちゃ大変なんだけど。

2つはナウシカ腐海の話で、腐海は環境汚染されてるように見えてるけれど実は逆で、あのマンガに出てくる人間はみんな放射能とかで汚染された状況でしか生きていけないようになってるから腐海に住めないのであった。で、腐海のど真ん中はめちゃめちゃキレイな世界で、いつかあそこで暮らせたら……とかそんなサブストーリーだった。今思うとけっこう現実味のある話だ。

3つは、上の文章内の「現時点で将来の責任を負う」というのは、話を変えるといまの団塊の世代と膝付き合わせてお話ししたい内容だということ。分かってますよ、あなたがたがそれなりに充実した壮年期を送り、そして今からそれなりに幸せに老後を過ごすということは。で、僕らにはどうしろと?辛いんですけど。

4つは前から思っていたけれど、やはり環境問題を真剣に考えると(僕だけかもしれんけど)宇宙とか、地球にどう思うかみたいな、まるで宗教じみた嘘臭い話になりがちだなあと。ここまで書いたのは誰なのかって話だけど。はい、僕です本当にありがとうございました。

と、つまり以上は全部雑談。いろんな知識を誤解しまくったり、論理破綻してるかも。すんません。正しいことを知っている人は後学のために教えてください。ちなみに僕はまだ環境問題に首を突っ込む気はございません。まだもうちょっと、別にやるべきことがあると思っているので。