環境問題2

id:ynakajimaさんが長文コメントくれてて、これはやはりこっちでも書かねばなるまい、と。で、なにかというと http://d.hatena.ne.jp/ynakajima/20060205 の意見はもう、ごもっとも。仰るとおり。ついでにここまで書いてあるのが親切というか。

id:teraimanさんのエントリーは上記を大前提として、人間社会の中でどう「環境問題」を考え位置づけていくかに関して言及してるんですね。たぶん。

そうなんですよ。そゆこと。
……そういう大前提を、説明からぶっ飛ばしちゃってる僕はちょっとまずいな。

環境問題ってすごくスケールのでかい問題だという認識があって、そういう認識のもとで賛同してる人々が多いと思うのね。それはやるべきことのスケールもそうだし、理由の崇高さみたいなことも含めて。ところがよく考えると、人間が人間のために環境問題というのに取り組まなきゃいけないだけで、未来の世代にキレイな自然を残したいっていう感傷的な理由が大きかったりするわけだ。どこまでいっても人間のエゴ。

って気づいた瞬間に、環境問題に取り組む理由は別に崇高でもなんでもなく、単なる独り相撲みたいになって動機が色褪せる気がする。田舎が開発されて都市になることを悲しむ、おじいちゃん&おばあちゃんみたいな話なわけで。ナウシカじゃないが、未来の世代は僕らからみて自然もクソもない環境でニコニコと楽しそうに生活するのかもしれない(多分そうなる)。

そういう認識をちゃんともてば、

大真面目に地球様のことを考える、自分たちって地球に住まわせてもらってるんだなあと振り返る

事が改めて自然にできるのではないでしょうか。

僕は、そうは思わないわけだ。そういう冷めた認識のもとに、新たに追加する要素がないと「自然にできる」のはムリじゃない?って。その追加要素が「地球様」である。

現実は現実として、環境問題をなんとなく支えている崇高さが失われ、取り組む動機が色褪せても仕方がないし、それでも興味をもつ人だけがやったらいいじゃないかと言い切ればそれで終わり。僕自身はもともと、そう思っている。でも、環境問題というのは確かに必要なのかもしれない。そこで自分が本気で環境問題に没入するためにはなにが必要かと思い返して、前述のエントリ http://d.hatena.ne.jp/teraiman/20060204/p2 を書いた。

つまりそれは、本当に環境問題のスケールを大きくすべく、「地球様(今の生態系)」という主人公を新たに持ち出そうということ。id:ynakajimaさんが書いてくれた、現実つまりある種ドライな目線を大前提にしながらも、今の地球に意思があったら「現在の自然環境をもっと残したい」と思っているはず、と勝手に想像して思い入れることが必要なのではないかというご提案なのでした。僕が環境問題に関わるなら、そこを入口にするってこと。

とりあえず僕は、環境問題を盲目的に尊いと成す人々には冷めたことを一言お伝えしたいし、そして最近では、冷めきった意見の人々にも一言お伝えしたい。環境問題をやるなら大真面目にやりたい、冷めてるけどアツい、そういうスタンスでやりたい。とかそんなことを思って環境について語ってみたのです。って今さら、気づいた。