寺井×橋口インタビュー1

しばらく前にある雑誌のインタビューを受けまして、その内容があまりに酷いというか過激で長かったため誌面に載ったのは一部でした。(なにせ、まちづくりについてのインタビューなのに、僕は「まちづくりを意識してません」と一言で本題を終わらせてたりするのです)
さてそのインタビューを担当してくださった橋口さんが、もとの原稿をそのままにするのは勿体無いと力説してくださって、彼が自主制作しているフリーペーパーに掲載してくださったうえ、ブログでの転載も承諾してくださったので、今日からしばらくその内容をこのブログ上で掲載してみようと思います。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


KOMPOSITION 代表
寺井元一(29)

ちょっと変わった方がちょっと変わった考えでとんでもないエネルギーを生み出している。そのエネルギーの一端に少しでも触れて頂ければ幸いである。なお、本稿は雑誌『LANDSCAPE DESIGN』(マルモ出版)において既出の「等身大のまちづくり」の元原稿である。雑誌掲載時とは異なり、ほぼインタビュー時のまま全文掲載している。多少読みづらいかもしれないが、場の勢いを大事にするためあえて編集を最小限に留めた点をご理解頂きたい。(聞き手 橋口)


若者である必要はない

− KOMPOSITION とはどのような団体ですか?


基本的にはアートからスポーツしている人まで色んなジャンルで表現している人の中で、ジャンルが成熟していないなどの緒事情によって才能を埋もれさせている人を掘り起こし、彼らの才能を世に知らしめていく活動をしている団体です。「お金を上げます」という支援の仕方ではなく、活動の場所や評価される機会という「場所の提供」や「チャンスメイク」を行っています。才能を花に例えたりする事があると思いますが(才能が開花する、など)日陰に咲いている花が咲ききらないから、その花を日向に移し替えてあげる。もしくは日陰にしているものを取り払ってあげる、そんな団体です。


− 「若者の可能性を最大化する」とおっしゃっていますが、なぜ若者なのですか?


最終的には若者じゃなくても良いんです。でも僕が二四歳に(団体を)作った時、僕の周りの若者は同世代もしくは年下ばかり。今もそういったパターンでやっているけれども、そのような形ではじめたから、僕たちがお年寄りや四〇、五〇のおっちゃんたちの為に何かをやったり、というのは嘘くさいし、要は彼らの事を分かっていない訳だから、それだったら自分達の世代の為にやりましょう、という意識が強かった。それが年食っていったらどうなるんだという事は、以前から周りに言われていて、今も僕らも分からない。


僕は今年で三〇歳になるんだけれども、四〇歳になったら四〇歳なりに、五〇歳になったら五〇歳なりにやることはあるんじゃないか、と思っています。はっきり言って、若者である必要はない。基本的には人間の可能性を最大化するプラットホームとして成長できたらいいな、と思っている。僕らも今は若いから、今は若者に特化していますよ、というだけのこと。


− 活動内容を具体的にお話ししていただけますか?


やっている事というのは、「まち」の中で無駄になっている場所を僕らが預かって企画運営したりすることによって、若い人間のチャンスメイクをする。結果として「まち」にも周りの人たちにも貢献できることをやろう、という事をやっているんです。


大きく分けると「壁」を対象としている活動と公園などの「空き地」で活動しているものと二つあります。壁ではグラフィティを中心にストリートアートのキャンバスとして活用していくという、リーガルウォールというものがあります。これは僕たちが壁を清掃した上でキャンバスとしてアーティストに提供する、ということをやっています。公園の方も僕らがゴミを拾うなど、ある程度綺麗にした上で、その場所をスポーツのフィールドとして、例えばバスケットのイベントができる会場などに変えていって運営していく、ということをやっています。


「まち」のエネルギー

− KOMPOSITION では「まちづくり」を行っているという感覚はありますか?


「「まち」づくり」をやっているという感覚はないですね。でも、関わっているという感覚はある。周辺領域にはいるけれども「まちづくり」をやるのが本業じゃないな、と思う。


− 「まちづくり」にどう関わっていますか?


僕らがやっている事は「まち」自体を表現の場にしていこうという事をやっているわけだから、当然「まちづくり」には結果として絡んでしまう。ある「まち」に大きな壁があってそこをキャンバスとしてアーティストに開放しようとして、僕らがコーディネートして壁画ができたら、それは「まち」の一部だし、否応無しに前を通っていく人だとか周りの人間だったりとか「まち」全体に影響与える事だと思うから。


− 作成した壁画などが「まち」の住民に不快感を与える場合はどう対処しますか?


対処のしようがないよね。あえて言えば消すぐらいしかない。消した事もあります。それは苦情だけじゃないけれどね。変な話だけれども、真っ白い壁っていうのは良くも悪くも毒にも薬にもならない。人々に何も与えないけれども、それは良い意味でも何も与えないし、悪い意味でも与えない。何かを作れば、良いと思う人の中にも「何年間も見たくない」とか「一生これでやりたいとは思わない」というように思う人はいる。今までの実例で言うと、「嫌だから消して」という理由じゃないけれども、上のように言われて消す事もあった。


その消した例っていうのは、最初の取り決めの時点で二週間という風に言われていたんだけれども、好評でそれが一年に延びた頃に、いわゆる「まち」のキーパーソンに「そろそろいいんじゃないか」って言われて消したっていうことがあったね。


− 「まち」をどうしたい、という目標はありますか?


みんなが期待しているような、いかにもな目標はないんですよ。ただ、基本的に僕がやりたい事というのは「人のエネルギーを最大化にする」ということで、同じように「まち」を作っているのは人だから、「まちのエネルギーを最大化したい」という思いはある。


エネルギーというのは何かと言ったら、そんなに綺麗なものじゃないんですよ。色んな奴がその「まち」にはいて、最大公約数としてこういう人間が多く集まっているというのがあれば、その人達が好き放題、自由にやりたいことを突き詰めていけばエネルギーは出るだろう、と思っているんです。エネルギーが出ている状態というのは、収まりがいい状態ではなくてカオスに近い状態。ぐちゃぐちゃになっている。でも少し引いてみたら、こういう事が皆やりたいんだな、という価値観は共有できている、という状態が理想。


共有するのは、そこにいる人たち。それは住んでいる人ももちろんだし、外から毎日来ている人だってそこにいるわけだし。極端な事言えば、そこに住んでいない奴でもそこの事が大好きで、いつもそこの事ばかり考えているとしたら、それはそこにいる、という事だと思う。

<つづく>