組織と自分と

丸山茂雄の音楽予報 - 小さいままで

アンカテ(Uncategorizable Blog) - Less is More -- 身軽なことはいいことだ

自分がNPO法人なんて立ち上げることになったのは、自分が生き辛いという思いっきりのエゴで、世の中を変えたいなあと思って学生団体を立ち上げたからだ(いま思うと冗談みたいだ)。
10年ほど前、僕や僕のまわりはそれぞれ、音楽とか映像とかあれこれ、小グループで別れて才能があるとかないとか、辞めるとか辞めないとか、やっていた。他の人たちも同じようなもんだろうと思った僕がやろうと意気込んだのは、死ぬ気でやるみたいな狂気みたいなのがもっと充満すればいいのにということと、一方でもうちょっとやっていることを認識してもらえる仕組みがないと頑張れないからつくりたいなあと、そういうことだった。
いま、かつての学生団体がNPO法人というものになり、自転車操業から少しずつ脱してきて、自分自身さてなにをやろうと考えたりもする。どこかで生きることに必死で、もういちどやりたいことに素直にならないといけないと感じたりして。どこまでいっても話が大きくて漠然とならざるを得ないのだが、さっき書いたような「疑う」人たちを主人公に、「新しい業界を成熟させる」ことをやりたいんじゃなかったっけ、、とか思い返す。
あと、組織は小さいままで良いんじゃないかという意見が、昔は嫌だった。だって大きいことができないじゃないかと。今は……正直、大人数の管理とかって想像するだに辛いなあ。自分はいつも無茶な事業をドンドンやりたいわけで、儲けは生命維持+αできればいい。ふつう、会社の利益アップに貢献する従業員みたいなのは欲しいんだろうけど、僕はそれほどでもない。食わせてあげる保障をするために、僕が本意でないことをやらなきゃいけなくなるからで(その代わり儲かる)、なんか僕は我ながらややこしい。
だからまあ、組織の枠に自分のやりたいことが理念として浸透してるなら、個人あるいは少人数のチームが、複雑系のモデルみたいに各自勝手に動いてるのが望ましい気がする。できればフリーランスでそもそも別に食えている人間がかなりの割合混じっててほしいし、もともと居た人間が次第にそうなっていくのが望ましい。で、その複雑系の維持のためなら、管理的なことも含めて苦労を厭わずにやれるかなあと思う。どこまで広がるのか、面白いから。
さて、どーゆーふうに「疑う」若者のこととか、「新しい業界を成熟させる」とか、やろうかなあ。