寺井×橋口インタビュー3

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楽しようと思うなよ
落書きをされるからいけないとか、されないから良いとかじゃない。されててもいいんですよ。落書きされるってことは人の手がかかっているじゃないですか。落書きもされない壁になったら最悪ですよ。誰も来ないという事だし、誰も興味を持っていないという事だから。本当は、興味を持っている人間はいるんだけれども、持っている人にとってマイナスではない使われ方をしている事が一番良いと思うわけ。つまり落書きをいっぱいされて、いっぱい消している、というぐらいの方が良いんじゃないかと思うんですよ。


それ(落書きを書かれて消したりを繰り返す事)をしんどいと思う人は当然いるだろうし、それをしんどくなくする工夫はあってもいいと思うんだ。僕らがそういうのを消していくってことは地域の人にとっては楽になるってことだから、そういうことを僕らはアイデアとしては沢山持っていると思う。そういう意味でKOMPOSITIONを使って欲しいし、それが僕らなりの社会貢献・地域貢献なんですよね。とにかくいろんなことに手をかけていこうよと。楽なんかしようと思ったら「まち」なんか作れないよね。


僕からすると壁のコーティングなんか、ホント最悪。楽になるかもしれないけれども、その壁の事を思い出さなくなるでしょう。五年、十年放っといても良いんだと思って。毎日とは言わないけれども、折に触れて一週間に一回とか思い出して見に行こうかな、と思うべきだと思うんですよ。それが自分達にとって大切な場所なんだったら。「まちづくり」というんだったら楽しようとするなよ、と思う。そんな「まち」づくりは上手くいかないんじゃないの?ってどこかで思ってる。


エネルギーがある
でもそうやって手をかけていくって言う事は、部分で見るとすごくぐちゃぐちゃしている。色々なことが起こっていて訳が分からないかもしれない。でもそれって手がかかっているし、そこにはエネルギーがある。明らかに人がそこにいる。そういうの方が僕は良いんじゃないかなぁ、と思う。マンガとかで描かれるような未来都市、のっぺらぼうでまっすぐな直線や曲線で構成されているような「まち」でいいのかなぁと思う。


多分江戸時代なんか、しょっちゅう壊したり、しょっちゅう作ったりしてたんじゃないかな。江戸の「まち」自体もどんどん広がっていったんだろうし。開拓したり、人が住み着いたり、住み着いたら追い出されたり、火事やら戦争やらで燃えたり。それは個々に見たら戦争は不幸せ、とかあるけれども、常に何か起きているという事が大切だし、それがエネルギーだし、それがカオスだし。


ただね、僕らがアクションしないとみんな、安易な方へ流れがちじゃないかなと思っている。大都市になれば成る程、そこの土地の持ち主はそこには住んでいなくて、ただ儲かればいいというような動きになってたりする事が多い。そういう意志で行われた再開発は多いと思うんだけれども、やればやる程のっぺらぼうになっていく。そんな「まち」には僕は行きたくもないし、ぞっとする。


<つづく>