寺井×橋口インタビュー4

※はじめて読む方は寺井×橋口インタビュー1からご覧ください


天下一武道会
− 行政との絡みも多いようですが、若者と政治を結びつけようといった思いはありますか?

僕らの本質はプロデュース、コーディネートすることだったりインターフェイスになる事であって、若い奴と社会を繋いでいるつもりだし、行政や地域社会と企業を繋いでいるつもりだし、そういう両方のインターフェイスになっているんだとは思うよね。思うけれど、政治と若い奴らを今のまんまで繋げようとするのは無理があるだろうな、と思う。元々僕はそういう事をやっていて、政治家になりたいと思った事もあった。でも繋ごうとすると、強いもの、エスタブリッシュされているもの、認められているもの方に寄っちゃうんだよね。寄らないと大変でやってられない、選挙からなにからね。だから政治と若者を繋ごうという活動はどこかで政治を若者に押し付けてしまうことが多い。若い人も自分たちの枠から出てこない。行政と企業だって似たようなもんで、フラットには繋がれないんだよね。そういうものって反発が起きる。だからKOMPOSITIONでは、インターフェイスとして動いてはいるかもしれないけれども、なにがなんでも繋ごうという強迫観念みたいなのはない。とりあえずフラットに接してみて、結果的に歩み寄れたらいいのに、とは思って工夫はしてるつもり。


僕らはただ場所を提供したいだけ。表現者を応援はしているけれども、そもそもでいうと特定の誰かを応援する団体ではない。本当にフラットな状況にしたら、力のある奴が残るはずだし、力がなかったら淘汰される。で、そういう場所を作りたい。天下一武道会みたいなもんだよね。何の格闘技でも良いけれども、そこにくれば強いかどうか分かる。そういう場所を作りたいだけ。あの四角いリングを作りたい。


僕らは甘やかすっていう意味の支援をする気はないんですよ。アーティストにとっては辛い状況も起きるかもしれない。スポーツだったらはっきり勝ち負け分かっちゃうしね。勝てない奴は止めるべきだと思っている。百人いたら九十人くらいは止める側でしょう。表現というのは多分すごく大変な事だと思うから。どこかで自分の才能とか見つめ直さなきゃいけない。そのうえで、本当に残った人間が評価されるようにしたい。


僕らはそんな、アホな団体です。


爺ちゃんがダンクする福祉
− そのような活動の中で大切していること、理想をお聞かせください。

感動っていうのは、汚いはずのものが綺麗になってたり、そういう「誰かが頑張ってる」みたいな驚きとか共感とか、そういう感覚から起こるんだと思う。だから「誰かが頑張ってる」ことが重要で、その上でその動きに気づいてもらえるようにしないといかんって思う。僕らは壁などの清掃をするけれども、サンダーのような機械を使って綺麗にしたらいい、と良く言われる。でも、それはしたくないんだよね。誰が気付くかどうか分からないけれども、僕らの努力、人が延々やっている、ということが大切な気がしていて。苦労したなぁ、みたいなもの。それを伝えたいし、声高に言うわけじゃないけど、ふとした瞬間に気づいてもらえたら嬉しい。


それは僕らの思い込みでも良いんだと思う。例えばこの壁を綺麗にするのに四日もかかっちゃった、という場合、僕らはその壁を大切にするからね。それがサンダーで三分で終わってたら、いくら汚してもすぐ綺麗になるからいいやってなると思うしね。そういう気持ちが周りの人に伝わって、「ふーん」ってなっちゃう気がするから、そういう事はしたくない。そういう取り組みだよね。僕らのやってる事ってのは。


僕の理想の「まち」は、いる人全員走り回っているような、スポーツでもアートでも何でも良いんだけれども、中には疲れて寝転んでボーットしている人もいていいんだけれどもそれもあくまで走り回り疲れた結果という感じ、そういうイメージ。


僕は最後は福祉もやってみたいんです。今まで言われているような福祉ではなくて、例えば爺ちゃんがバスケをやってダンクする、めっちゃ元気、というような福祉。かわいそうな弱いご老人を丁寧に扱いましょうってことじゃなくて、まだまだ爺ちゃんやれるよ、もっと動き回ろう、遊ぼう、みたいな勇気づけがメインのね。今の福祉だと、爺ちゃんはどんどん弱っていくだけじゃん、夢も希望もないよって気がしてて。ご老人がダンクできるような装置か何かを作るのかわからんけど、爺ちゃんでも走り回ってダンクしてガッツポーズをする、という感じ。お爺ちゃんガッツポーズしなさそうじゃん。しょんぼりして。そうじゃなくてお爺ちゃんが自然に走り回れてガッツポーズするような瞬間が作れたら、それが僕がやりたい福祉。いずれそういうこともやっていきたい。自分が爺ちゃんになる前にはね。


<おわり>