ワクワクを貫きたい

ここ数日、いわゆる雑用をほとんどやってません。事前になるたけ雑事を片付けておいて、
あるプレゼンテーション用の資料を作ってます。が、こういうときに限って


全然、気分がのらない。


受験勉強をやってたころからよくよく分かってるんだけど、僕はなかなかのれないんです。
切羽詰ったらそれなりにパフォーマンスを発揮するんだけど、エンジンがかからない。
おかげでこういう時に読む小説や、映画や音楽の面白さをたっぷりと知っており、
今まさにブログを書いていると。


はっきり言って、自己嫌悪です。。。*1


さて有名ブログの、分裂君勘違い君劇場でこんなエントリがあがってます。すごい活況。

「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法

読んで、どうなんだろうなあー、と思ってすっかり悩んでしまいました。
これって、「好きなことを貫く」に対して「好きなことが好きでなくなることがあり得るって問題にどう対処するのさ?絶対的なものなんてないよね?」って意見ですよね。


僕は「好きなことを貫く」「好きなことを仕事にする」というワードには共感するほうだし、
周囲からはまあ、それなりにそういうワードと近い場所に居ると思われてそう。
だけど、分裂氏の言わんとするところもよく分かる気がする。
つまり僕が分裂してる。うわー、どうしよう、って思ったのです。


キレイにまとめるなら、「好きなこと=移ろって変わるもの」と定義すれば良いんでしょう。
そうすれば、「もっと気分よく生きる方法」もある種の好きの貫き方じゃないか、となる。
でも、「好きなこと」っていう響きには


「移ろわない、基本変わらないもの」


というニュアンスを感じるのが普通なんじゃないでしょうか。「好きなことを貫く」と書くとき、
普通そういう意味だと思うのです。


実は梅田さんの本をまだ読めてないのですが、、
楳田さんが「好きを貫け」と書いたときも、そういう意味で使っている気がする。
たぶん、サバイバル方法としての「けものみち」というのはまた別の話なんでしょう。


好きなこと、ずっと興味関心があることを、ずっとやって生きていくのが素晴らしいと思う。
だけど、それで「高速道路」に乗って生きていける人は限られている。
だから、生き残るためには「けものみち」の歩き方を知ってないといけない。


たぶん梅田さんの主張というのは、こういう感じだろうと思っています。
「好きを貫く」は人生観・生き様、「けものみち」は戦略・方法論、という。


つまり、話は戻るのだけど、
「好きなことを貫く」 vs 「好きなことが好きでなくなることがあり得る」という対立は、
僕はあると思っていて、考えるべき、悩むべき対象なんです。


一つのことにのめり込むタイプの人だったら、ある一つのことにずっと興味関心をもてて、
ずっとそれを仕事にできるかもしれない。
それなら、「好きなことを貫く」と「もっと気分よく生きる方法」は両立しうる。
職人稼業の場合、極論でいえばそういうことも可能かもしれないですよね。


ただ問題なのは、多くの人にとっては両立しないということ。僕にもたぶん両立できない。
なぜなら僕は、強烈な「好きなこと」がないから。
要するに毎日ステーキを食べて(もしくは毎日肉を食べて)、毎日美味しいとは思えない。
「嫌いなこと」と「嫌いじゃないこと」はたっぷりありますが。


もちろん、「マッサージされるのが好き」「美味しい食べ物が好き」「カフェでお茶しながら読書するのが好き」とかありますが、それってこの場合の「好き」と別ですよね。


で、僕なりの結論としては「ワクワクすることを貫く」のが自分の仕事論なのかなあと。
「好きなこと」ともちょっと違う、ワクワクする「感覚」を追い求めるのが自分にしっくりくる。


「好き」というのは静的なものへの感覚だけど、
「ワクワクする」というのは動的な、つまり活動とか方向性への感覚な気がします。
なんかそういう、世の流れみたいなものに対する関心で働いていきたい。
「好き」でもなく、「面白ければいい」でもなくて、「ワクワク」なんです。


で、僕はワクワクしなくなったら、やってることを辞めるなり方針転換なりしたいのです。


分裂氏の仰るとおり、辞める(=専門性が薄れる)と自分のビジネス上の価値は下がるんでしょう。
なんで、ワクワクし続けること(≒やることが変わる)は自分の価値を下げるかもしれません。
でも、ワクワク派としては、なんとかして両立したいわけです。


何でかというと、自分の価値を上げていかないと、もっとワクワクすることをできなくなるからです。
ワクワクというのは活動とか流れとかに対して感じるもので、
それら活動とかの規模自体が大きくなることで新しく得られる側面があると思うのです。


その両立のために、しばしば個人としての挫折が表れるんだろうなあ、と思います。


最近、所属するNPO団体で、僕は事業の前線にあまり立たないようになりました。
仲間が担当事業を頑張るのをサポートしたり、全体がうまく行く工夫に時間を割いてます。
今まで担当していた活動にワクワクしなくなった感覚、僕よりコイツのほうがうまくやれるという感覚、、、
みたいなことをあれこれ痛感実感したからそうなりました。


正直、それは僕にとって挫折なんです。すごいショックだった。
でも新しい挑戦でもあるし、つまりワクワクしてるし。
以前より「経営」ってことを考えてる意味では成長してるし、自分の価値が高まってるようにも思う。
つまりなんとなく、それなりに両立に向かってるような気もします。


で、僕は要するに「ワクワクすることを貫く」ことを提唱しておるわけですが、


ワクワクとは何かと聞かれたら、それは個々人のココロのなかにあるんだと、
つまりワクワクするからワクワクするんでそれで良いじゃんと、まあそんな感じで。
思考停止って言われたらそうだなあと思いつつ、まあそういうことを思いました。

*1:一応書いとくと、このエントリはプレゼン資料について完了後にアップしてます…しんどかったー