上書きインストール

人間の体というのは、物理的には1年ぐらいあれば、かなりが入れ替わるらしい。
思いっきりシンプルにいうと、物理的に別人になるってことですね。

では、果たして精神的にはどうなのか。たぶん、同じように入れ替わっていくんでしょう。
気付けば、実際にはもうすっかり変わっていた、そういうもんなんだろうと思います。

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一昨日、 NPOカタリバ のイベントに招いていただき、参加してきました。
カタリバに関わっている大学生達に、年上の人間がなにかしら話して刺激を与える場所をつくる、というものでして。

とりあえず、自分語りをしてきました。僕なりに、自分の人生観というか哲学みたいなのがあって、それを話した。
長い知り合いなのに、ほとんどまともに話したことがないIくんと一緒の席で、それも含めて楽しかった。


が、そうやって話してる間に直感したのは、自分にとっての「ある期間」が終わったんだなあと。
もう、こういう話をすることはなくなるんだろうなあ、僕はそんな気がもう起きないだろうなあと。


僕の人生観というのは、――多くの人がそれぞれ持ってると思いますが――自分を囲んできた環境、自分が先天的・後天的に負った疾病、

天災なんかを踏まえて至った、一つの確信といくつかの理論のまとまりみたいなものです。

そういう人生観が固まったのは、高校2年のときです。16歳だった。
自分の軸、生き方の指針みたいなものがかなり明確になった気がした。
それは、自分自身がなにかしら活動的に生きていく上ですごく重要なものだったし、実際に僕のエネルギーの源泉になってきました。


しかし大学生であることが終わる23歳ぐらい(つまりKOMPOSITIONを設立する前後)、いずれ近い未来に、その人生観の限界が来る気がしました。
16歳のときの気付きでずっと過ごしていくのは多分問題がある、7〜8年も生きて変化がないのもまずいはずだと思った。

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それで昨日、さらに7〜8年が過ぎて30歳になった僕は、その限界がもう来てたんだ、っていうことが急にわかりました。
まあストレートにいえば、個人的な人生観というものに価値を感じなくなった。ポジティブに捉えるなら、必要がなくなったのかも。

僕の人生観というのは、当たり前だけど僕の個人的な持ち物です。それは自分の支えでもあった。
でも、僕はそういう僕個人というものに、ゆっくりと関心を失い続けているんだと感じました。
僕という個人の限界みたいなのが沸沸と感じられて、そこにもう、自分の優先順位がいかないようになってきてる。


それでどこに向かってるのかというと、どうやら仲間とか、自分が参加している集団とか、
そういう「自分が包まれている集団」への志向が強くなっている気がします。

Iくんには「昔から比べてすごくマイルドになったね」と言われたけど、まあその辺のことが影響してるんだろうなあと思います。
まあ、僕から見るとIくんのほうが、すごく変わった気もしたけど(笑)


とにかくなんか昨日は、自分の終わりと始まりみたいなのを感じました。
切ないんだか苦しいんだか、それとも幸せなんだかわかりませんが、30歳になってこういうことが本当に多いです。
たまたまなんですかね。

それでまあこれはつまり、自分という箱に、新しい精神をインストールしてるんだと思います。
経験則的に、15〜16年で一区切りしてるから(世代論のロジックともあいます)、45歳ぐらいにまたこういうことが起きるんだろうなあ。
正確には、今までの記憶や感覚も消すわけではないから、上書きインストールですね。

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これまでの僕の人生観は、背景として、16歳の僕が最悪であり絶望しており、
勝手ながら生きることにすっかり追い詰められていたことから生まれてまして、
「逆ギレ」「開き直り」的な感覚のもとに立ち上がってるものです。

でもまあ、今もし過去の僕と似たような境遇とかにある人がいれば、少しぐらい参考になるかもしれないです。
と、そういうわけで過去の自分への鎮魂の意味も込めて記しておきます。
僕にとって、それは自分の胸の内にしまっておくべきものでは、もうなくなったので。

  • 人間が生きてることには全く意味がなく、人生は理不尽
  • 「運命」があって人生の結末はどうせ決まっている →ならばやりたいことを徹底的にやったほうがいい
  • 人は「なりたい自分になる」権利を持っているはず →夢や目標は自分で勝手に決めるもの
  • 権利は貰うものではなくて、奪いとるもの →正しいと思えるなら、闘う以外に道はない
  • 自分のことを他人はわからない →自分こそ最大の理解者であり支援者であれ、他人に邪魔させるな
  • 夢や目標は割引かれて成就する →割引分を加えてなるべく大きく夢や目標を設定せよ、できれば宇宙規模
  • 才能は変わらない、努力と、結局は環境が自分を決める →夢や目標にあった環境に居るために努力をせよ
  • 80歳の大往生と明日の交通事故死はなにも変わらない →ならば不老不死だと思って生きたら良い
  • 「今の自分がどうであるか」という状況は無意味、価値があるのは今日と明日を比べたベクトルの増分だけ
  • 今日明日の変化を延々と積み上げよ、いつか夢や目標に辿り着く →その前に死んだら、それまでよ
  • 結局、そういうことを思いながら、今たまたま生きてるってことに価値がある