筋トレのような仕事

筋トレって、負荷かかった状態で筋肉を使うことで、筋肉を傷めて、その傷が治るときに以前よりちょっと多く筋肉がつくのを利用して筋力を上げていくわけじゃないですか。これって凄いことだと思うんですよ。もちろん代償として、辛いわけだけど、でも使えば使うほど育っていくわけで、良いこと尽くめじゃないですか。筋肉が痛むのと強くなるのが一体というモデルが、美しい。


消耗品だったら使えば使うほどなくなっちゃうし、お金だって使えば使うほどなくなっていくわけです。それが快感でやめれないって人もおりますが、でも良いこと尽くめ感がない。消費して終わりっていうのがつまらない、というのは結構現代的な感覚だと思うんですよね。


それで、なぜ事業とか投資とかが素晴らしいかっていうと、リスクはあれど、使えば使うほど増える(可能性がある)からですね。つまり筋トレと同じなわけで、筋トレ的というか、そういうところが人々をひきつけるのかもしれない。社会的起業とか言われるのも似たような文脈だと思うんです。


それで、ミクロなことを考えて僕の仕事はどうなんだろうと。もちろん仕事をすればするほど体力的にはしんどいです。それで痛んでるものって……なんなんだろうとさっき思ってたんですが、本質的には時間なのかなあと思って。何やるにしても時間がどんどん減っていく、体力的にしんどいのも寝たりブラブラしてる時間を削ってるからというわけで。


そうしたら、時間が戻ってくるような仕事ができてたら、それはつまり筋トレみたいな仕事って言えるのかもしれない。確信はないけど、時間を取り戻すってのは他人というか、仲間というか、応援してくれる人というか、要するに人な気がする。僕がこんなことやりたいって思ったことをショートカットさせたり背中を押してくれる、そういう人を増やしていくことが良い仕事してるってことなのかもな。


ま、なんかボーと電車に乗ってたらそんなことを思いました。